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宮本選手が現役引退を表明「守りにつけない、レギュラーで出られないのは引くとき」
26日、都内の球団事務所で、宮本慎也選手が今季限りでの引退を表明しました。会見は「今季限りで19年お世話になった東京ヤクルトを退団することになりました。引退を決意しました」という言葉から始まりました。宮本選手は終始穏やかな表情でした。

---今の心境
「だいぶ前からある程度決断してましたので、ちょっと公の場でしゃべれることですっきりしています」
---決断のきっかけ、経緯
「昨年一度は本当にやめようと決断はしたんですけど、監督さん、社長からもう一度戦力として頑張ってほしいということでやることになったんですけど、そのときにある程度今年1年でという気持ちでいましたので。交流戦のころからスタメンも減ってきて、僕は守りから試合に出てた人間なので守りにつけない、レギュラーで出られないのは引くときかなとは感じました」
---チームメイトやスタッフへの報告
「チームメイトは正式には僕がよく辞める辞めると言っていたので、あらためてというのはないんですけど、監督さんにはオールスター中に話しをさせていただいて、8月の秋田の試合のときに社長に話しをさせていただきました。報道が出るまで決断したのを知らなかった人もいると思います」
---小川監督との会話
「“先に決めました”と監督さんに伝えましたので、監督も“決めちゃったのか”という感じで、“はい、決めました”と。本当にこれくらいの会話で引退の話はさせていただきました。スカウトとしてプロ野球の世界に導いていただいて、最後に監督さんの下でユニホームを脱げるのはなかなか無いことだと思う。今までにそんな例があったかどうかわからないけど、ありがとうございましたという言葉ぐらいですかね」

---やり残したことなどは
「僕自身はよくやったと思っています。もう一回優勝したかったです。それだけで、あとはないです。もう一回優勝したかったですけど、個人的には悔いは本当にない感じですね」
---一番思い出深い試合、プレーなど
「あんまり特別自分のプレーでああだこうだは残ってないんですけど、3回優勝させていただきましたけど、優勝の瞬間は今でも残っていますね」
---プロで影響を受けた人
「プロに入って最初に野村監督に4年間教えていただきまして、プロで生きていく術ですね。4年間ではちょっと足りなかったかもしれないが、野村監督に教えていただきました。一番の恩師にあたる方です」
---一流のわき役になれ、という言葉があった
「ミーティングに出た言葉なんですけど、自分に言われてると感じて取り組んできたので。本当に1対1で言われた言葉じゃないが、そういう選手にならないと僕はプロで飯を食っていけないと思ってずっとやってきたのは確かです」
---スワローズへの思い
「プロ野球に入ってスワローズしか知りませんし、僕のプロ野球のすべてなので、ファミリー的なあたたかい部分もある。入ったときは勝負に対しての厳しさもありましたし、強かったときは理想のチームだった。ずっとぎすぎすしているわけでもないし、本当にオンとオフをはっきりできたチームでした。今のチーム状況を考えると、まだそれができるチームではないと思いますけど、色々な意味で僕は本当にヤクルトに入ったからこそ19年できたと感じています」
---誇れること
「守備の部分は記録上はゴールデングラブとか、無失策の記録とか数字として残るんですけど、自分で誇れるのは全力でボールを捕りにいってアウトにしようという姿勢。これは最後まで貫けたと思います。数字で判断しないとしょうがないんでしょうけど、守備だけじゃなく勝ちたい一心で全力でやってきたことは自信を持って言えることです。好きで始めた野球ですけど、プロになった瞬間仕事に変わった。よく最近“楽しむ、楽しむ”と言いますけど、僕は一回も楽しんだことはないので。僕は仕事として真剣に向き合って19年間やってこれたところが誇れるところ」
---『仕事』から解放されてホッとする部分も
「昨日も試合出たんですけど、歓声がすごかったと後から聞いたんですが、そこまで大きかったという意識が無くて集中してやっていた。ホッとする部分はまだ無いが、オフのトレーニングとか2月のキャンプとか、しなくていいんだなと思うと楽です」
---プロ野球選手として抱いてきた信念
「単純に言うとやっぱり試合に出たりとか、ある程度成績を残さないと使ってもらえないので、そのあたりに集中していました。でも試合に出られるようになってから、ずっと勝ちたい勝ちたいでやってきたので、強い時も知ってますし弱い時も知ってますし、その中でも毎日毎日勝ちたいと思ってずっとグラウンドには立っていたので、それが信念。貫けたと思います」
---国際舞台での思い出や経験
「僕の中ではアテネオリンピック。初めてオールプロでいくプレッシャーの中で、誰もが体験してない中で、本当に一つになれたというか、僕はあのチームは代表の中で好きで。プロ野球選手でも色々な修羅場をくぐった選手がたくさんいたが、あの場面はそういう選手でもプレッシャーがかかりながらやるんだなと。だから、常日頃のプレースタイルは悔いのないようにと思いました。全力疾走とか当たり前のことなんですが、僕は代表に入る前に多少怠った部分もあったかなと代表に入って感じた。アテネの予選、本選は本当に自分を見直せた期間だと思います」

---若手に抜かれての引退が理想と話していた
「実際に僕は試合に出てませんので、内野手でいうと川端であったり山田であったり、川島、森岡。このへんは今出てますけど、まだまだ物足りなさは正直あります。将来、最低でも僕を超える選手にはみんななってほしいです」
---若手より早く練習に出るなどの姿勢も
「僕がそうしてやってきたので、それを最後までやり通したい気持ち。若い選手が見て何か感じ取ってくれればうれしいですし、でも、見せようという気持ちは全くないので」
---若手、中堅問わずチームを担ってほしい選手
「誰でしょう。まだグっと来ている選手は僕は正直いないと思いますので、決して明るい未来ではないと思っています。みんなが切磋琢磨をして、プロの一流選手になるんだという気持ちを持たないと。誰にでもリーダーになれるチャンスはあるし、そのまま終わる可能性もあると思っているので、みんな競争して頑張ってほしいなと思います」
---家族への感謝
「両親は小さいときから勉強しなくていい、好きな野球を一生懸命やりなさいという親だった。だからこそ、ここまでなれたと思いますし、大変感謝しています。プロに入ってからは結婚して子宝にも恵まれて、みんな野球一本の生活に協力してくれたので本当に感謝しています」
---家族への報告
「今年最後だと決意していた部分もあると言っていたし、オールスターぐらいにみんなで食事しているときに“お父ちゃん、今年でやめる”っていう話しをしたら、小さい子はわからないと思ったんですけど上の子は“知ってる”って言ってました(笑)。常日頃言ってるからだと思うんですけど、ちょっと拍子抜けした感じはありました」
---お子さんはさみしそうだったか
「息子はちょっと。(家族で)話した日ですかね、二人で風呂に入って…何て言うんですかね…やめてほしくないみたいなこと言ってましたけど、“こういう世界で力がなくなったら辞めないといけないんだよ”と。たぶん難しくてわからなかったと思うけど、それは話しておこうと思いました」
---ファンの方の支え、一方で惜しむ声も
「まだシーズンは終わってないんですけど、本当に19年間声援をいただいて神宮球場での声援というのは本当に力になりました。残りどれくらい試合に出られるかわからないが、お返しできるように全力でやりたいと思います。できたら球場に足を運んで応援していただけたらうれしいなと思います」
---引退試合の想像は
「想像してないのであんまりわからないですけど、どうでしょうね、泣くんでしょうかね。ちょっとわからないですけど。今日も(自宅を)出る前“泣くなよ”と言われてきたんですけど、最後の試合はもしかしたら泣くかもしれませんけど。あんまり想像はしてないですね」

---まだまだやれるのではないかというファンの声も
「僕が決断したことなのでファンの方はわかっていただけると思って、信じています」
---衰えを感じる部分も
「プレー自体は全くないことはないんですけど。まだ残り試合残ってるので、あまり自分の弱点をさらけ出すと…。大きく正直そこまでは感じないんですけど、じゃああと3年、5年できるかと言ったら、全く自信はないので。レギュラーとしてずっと出られる状況ではなくなったので、このタイミングでいいんじゃないかと思います」
---残りの試合にむけて
「ずっとその試合その試合を勝ちたいと思って試合に臨んでました。今は代打が主になってますので、どんな形でもチームに貢献できるように1試合1試合頑張ってみんなで力を合わせて、何とか3位をね。数字的には厳しいかもしれませんけど力を合わせて頑張りたい」

---野球とは
「すべてだと思います。今まで野球中心で来ましたし、現役は終わりますけど、たぶんずっと野球中心の生活になると思います」
---現役引退後について
「外から野球を勉強したいとは思っています」
---いずれはスワローズに戻ってくる
「タイミングとか縁とかもあるので、先のことはわかりませんけれども、僕が“戻りたい”じゃなくて、“戻ってきてくれ”と言われるようにしっかり勉強してきたいと思います」
---自分へのメッセージ
「まだ終わってないんであれですけど、よく頑張ったんじゃないですかね」

宮本選手は1995年にドラフト2位で入団。遊撃手と三塁手で計10回のゴールデン・グラブ賞を獲得し、1995、1997、2001年と3度の日本一に貢献しました。2011年には三塁手の守備率.997のプロ野球新記録を更新。そして、18年目となる昨年2012年には球団史上4人目となる通算2,000本安打を達成し、同達成者の中では史上初の通算400犠打も決めています。また、アテネ(2004年)、北京(2008年)のオリンピックでは日本代表の主将を務め、第1回WBC(2006年)でも最年長メンバーとして世界一に輝きました。

こんにちは、yabby。です。
この週末はマジックのイベントには参加しなかったんですが、行く先々でどうにも失敗続きで参りました。巡り合わせの悪い日ってあるもんですね。

さて、今日はスワローズにとって哀しいニュースが二つありました。
まずは上にもあります、宮本選手の引退会見。最近起用が減っていたので覚悟はしていたのですが、本人の口から聞くとくるものがありますね…
できればチームに残って、まだまだ若手を鍛えてもらいたいところです。ともかくお疲れ様でした。

そして、スワローズで監督を務めた土橋正幸さんがお亡くなりになったそうです。

http://www.sanspo.com/baseball/news/20130826/npb13082617040005-n1.html
東映のエースで活躍した土橋正幸氏が死去

 プロ野球東映(現日本ハム)で投手として活躍し、ヤクルトや日本ハムで監督を務めた土橋正幸(どばし・まさゆき)氏が24日午後10時56分、側索硬化症のため東京都内の病院で死去した。77歳。東京都出身。葬儀・告別式は29日午前10時から東京都港区南青山2の26の38、梅窓院で。喪主は妻泰枝(やすえ)さん。

 1955年に東映に入団し、強気な投球で頭角を現した。58年に9連続奪三振を記録した。61年に自己最多の30勝をマークし、62年にはチーム初の日本一に貢献して最優秀選手に輝いた。67年で現役引退した。通算成績は162勝135敗、防御率2・66。

 投手コーチなどを経て、73年後期に日拓ホーム(現日本ハム)の指揮を執り、84年途中から86年までヤクルト、92年に日本ハムを率いた。近年はその年に最も優れた先発完投型の投手をたたえる沢村栄治賞の選考委員長も務めた。(共同)

スワローズでは池山さんをはじめ、後の黄金期を支えた選手を多く育てました。
ご冥福をお祈りいたします。

じゃ、また。

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